とっ散らかった自分が、短い時間でかなり粗く浄化され、お米に喩えると最初の籾が取れて玄米か7分搗きくらいになった気がする。
精米になることがゴールではないかもしれないけど剥け方感の比喩ということで。玄米も分搗き米もおいしいから。それはそれで味があるから精米になることがゴールとするとちょっと違うかなと思って。糠もちゃんと心の片隅に残ってる。まあお米の話は置いといて。
昨日はのみこパイセンのブログを久しぶりに読んでスカッとした。お話もひさしぶりに聴きたくなった。
【タスク管理】タスク共有の必要性を感じなかった友人とタスク共有に至るまでの話と、実際に運用に使っているタスクリストの中身について - works4Life
歌を歌うひとがすごく上手なことを『口から音源』という言い方をするけどnomicoさんの喋りも『口から著書』『口からツリー構造』レベルでものすごく理路整然としてて聴きやすいのです。
さて、その文章に触れたわたしは触発されてTodoistというタスク管理アプリを久しぶりにインストールし、手持ちのタスクを埋めていく作業を始めました。以前も愛用していたTodoistをひさびさに使い、進化に驚くと共にsunrise calendarを思い出した。最強だったのに買収されちゃったのは悲しい過去です。アイコンも似てた。
ここ数日精神性の話が多くてこの人どうしちゃったの?と思う人もいるかもしれないけど、ひさしぶりのタスクの整理はむしろこころを安寧にしておくには必須だわコリャ、という心持ちになりました。雑事を放っておくとどんどん心が侵食されていくので決まりを作って定まった場所に現実を置いて置かないといざマインドフルに!と思ったところで『いま、ここ』どころじゃない。ノウハウが生活に生きる瞬間が来ました。