だけのこ日記

何もない日常が日常、それ”だけ”のこと日記

アフター編・Yielding Embodiment® Orchestrationを受けました

さて、昨夜のブログの後編です。

明日の自分を比較したいと言うのは、ボディワークを受ける予定があったからでした。先日ことりさんがスペースにお呼ばれして楽しく遊んでいたkaiさんの「Yielding Embodiment® Orchestration」です。

www.resonanceblue.com

 

これを受けたいと思った理由とかは昨日も書いたり、またその背景は追々述べるとして、今日はまず何とも言えないその感覚を書き留めておきたい。

そもそもYielding Embodiment® Orchestrationってなんぞやと言うのは私もよくわからないまま、でもこれは今の自分にきっとあう、という謎の確信を持ち、kaiさんのホームページから対面セッションの申し込みをしました。

とはいえ、ホームページの説明を読んでも「んーーー??」って言う感じ。間合い?ホールド??(でも、受けるとわかる・・・これが不思議。)

セッションの後は体が軽いし、地に足がついている感覚、体の内側がすぅすぅする、自分が筒状になった空洞な感じがあり、活き活きしているとはこういうことか!という実感がありました。すっごく不思議。肩を揉まれてるわけでも足裏をマッサージするわけでもなく私の体が持っている力を助けてくれている、というのがYielding Embodiment® Orchestrationとのことでした。

ものすごーーーくざっくり説明すると、瞑想は誘導もしてもらうけれども、瞑想状態に持っていくのは自分自身。
イールドはほとんどkaiさんのことを感じないけどkaiさんがいて、はじめてあの場を作ることができ(=ホールド)間合い(kaiさんがいるのにいることを忘れるようなそうでない絶妙な感覚)でなしえる空間と感じました。

 

最初はクセ(?)で瞑想みたく呼吸に集中してしまったのですが、いやコレ違う、って気づきそれを手放してからスッと体の感覚の違いが出てきました。なぜそこに気づいたかはちょっとわからない。

背中あったかいな〜、力抜けてきたなーっていうのがまだ瞑想っぽい状態が残ってる時で。

その感覚が逆に違和感になって手放してからは体の内側が波打ってるような感覚と共に表面は溶けた綿菓子みたいに感じました。綿菓子、舐めると表面トロふわ?みたいな。あの感触です。さらにその感触に慣れていくと寝ていたはずのベットの高さや幅も感覚から外れて、ぺたん、と床で眠っているように感じました。でも眠ってはいないし、ここはKaiさんのおうちサロンという感覚も残ってる。でもなんだか違う場所にいる、みたいな。

 

簡単にセッションの説明。

①現在の体の状況をシートに記入。気になるところなど
②セッションが身体的に影響を及ぼすかどうか目で見られることもあるので(ない時もある)体の前後左右の写真撮影。
③その後、施術用ベッド(マッサージ屋さんとかまつパのお店みたいな)に仰向けになり体を横たえてkaiさんにゆだねる

Yielding Embodiment® Orchestrationは、3回バージョンとその後プラス5回を加える8回バージョンがあり私が受けたものはその1回目にあたります。

回ごとに姿勢を変えるので最初は仰向け。回を重ねるときにうつ伏せ、横向きと姿勢を変えるそうです。(ホームページ参照)

③のkaiさんにゆだねるからの先の話に進みます。

kaiさんがご自身の立つ位置を私との「間合い」で決めていきます。私は未熟者なのでkaiさんが右に立っても左に立っても、真ん中に立ってもいまいちフィットする的な感覚がわからない・・・ただ横に立たれたときだけはとちょっと違和感がある。それを感じることができてから、その後にまた左右に立ってもらうと、右下かな?と言う感覚になりそこからスタートし、上の感覚に至ります。

セッションがおわったあとの感覚を、

 

(『全集中常駐』ってこんな感じ?)

 

鬼滅の刃に例える自分もどうかと思いますが、今まで感じたことのない感覚を言語に落とすのはなかなか難しい…

今日は速報ということでここまでにします。しばし寝かせてからまた書きます。

お近くの方は私の続きを待つよりぜひ体験して欲しい。

とくに最近の私みたいにちょっとズレ感を感じてたり、胸のつかえ感やモヤッとしたものが取れないと感じてるひととか。心に変化を起こすのはちょっと時間も必要だけど助けを借りながら体側からアプローチかける。心よりサッと反応してくれる。体が元気になると心へのアクセスも良くなる。(なった!)に繋がると思うのです。

と、またここで気づいてしまったのは結果的にまた展開が速い。変化のスピードが落ちてないというヲチ。また何かを見つけてしまった!とても良いものを!!みたいな。

なんかこう、今の私ってそういう時期なんでしょうねぇ。このまま流れに乗ってどこまでいくか、ここまできたら試すしかないですね!

 

 

いまの自分と明日の自分を比較したい記録

明日の満月に、ぴったりの予定を入れている。それのビフォーアフターをとどめておきたいので今の自分の状況を書き留めておきたい。

何度も書いているのでもう書かなくていいと思うくらいだけど、やっぱり、ここ最近の私をめぐる冒険は展開が速い。速く濃厚で変化を伴う。それは気持ちの部分だけでなく人、もの、場所、出会い。さまざまなものが安全ベルト付きのいかだの川下りみたい。やさしいけど激しい。

動くパワースポットみたいな人と出会ってしまい(しかもふたり!)、気づけばお手伝いをすることになったので影響を受けないわけがなくて、私の生活のあらゆるところにその影響を感じている。ご本人たちはけろりと「え?何もしてないです」というけどそんなことはないのだ。何よりも受け取り手のことを考え、何を言ってもいったん受け止める。そしてそれに対して何のラベルも貼らずそのままをそっとつつみ、もう一度受け取り手に見せてあげる。これがあなたですよね?と、宝物のように。

それを繰り返していくうちにだんだんと重心が安定していく。同じように感じている人はきっとたくさんいると思う。

私の場合はそれが短期間で起こってしまったので安定はしていくけれどもまだ輪郭がもろい気がしている。内側の変化の速さに体がついていかない感じ。もちろん自分で手足を動かすことはできるんだけど、隙間があるような感覚がある。

もうひとつ感じてるのは、このワードが正しいのかわからないけど、『ガードが弱い』ということ。新しい感覚が引き出されて来ていることはわかるけど無防備、みたいな。本当はてくてく歩いたり、自転車だったりもう少し時間をかけていくところいかだ下り、つまり自力じゃなくて何かの流れを使わせてもらっているので地固めできてない感なのかな?とも思う。

 

明日はその予定のアフター編を書きたい。

楽しみだな。

 

 

 

って。言える日が来るのも想像していなかった未来のひとつです。

 

新月の夜更けに(引越し雑記)

引っ越しからまもなく1ヶ月が経ちます。

住まう自治体は変わったけれどものすごく離れた場所というほどではなく、職場は旧居から近いので(自転車通勤が出来た距離)不思議な感覚で過ごしています。出社すると帰りは前の家に戻ってしまいそうな気分がしばらく続いていたのですが、やっと今の家も少しずつくつろげるようになってきました。そこで初めて気づいた感覚は『思っていたよりさみしい』です。こんな気持ちになるとは想像してなかったので。

今回の引越しと違い、前2回の引越しは後ろ向きの理由が多く「とりあえず」が点在していました。根を張ってそこに住むという前提がなく、きづいたら10年以上住んでいたという結果で、インテリアを楽しむなどの余裕はありませんでした。子どもたちの成長に伴い学習机や収納などはそれなりにそろえはしましたが(そういうものだから)という感覚でなんていうか、私の気持ちがあまり入っていない感じです。常に仮住まいみたいな感覚がありました。

にもかかわらず、離れてみてはじめて(わたしはあの場所をちゃんと好きだった)ってやっと気付くことができました。旧居は専業主婦からパートタイム、フルタイム、正社員と働く時間を増やしながらの幼、小、中、高の子育て期を過ごしました。まあそれはそれはいろいろありました。本当にいろいろ。家族関係、子供を伴う人間関係…思い出したくないことすらあります。

それでも電車を降りて少し坂を上りマンションが見えると体の力がほどけて(帰ってきたな)って、ちゃんと安心していた。もっと「おうち」に優しくしてあげればよかったな、と少し後悔もしています。

わたし自身はこういった心の機微を感じ取る能力が低いと自分のことを判断していたので今の寂しさに気づけた自分の変化にも驚いています。

『思い出』や『懐かしむ』という感覚に疎いのです。子供の頃は転校とかぜんぜん平気でした。むしろ新天地の方が楽しみなタイプ。常に変化の方への興味が強く、振り向かない(向けないが正しいかも?)

 

…オチがなくてすいません。眠くてまとまらなくなってきた…

とりとめなく終わります。明日からはまたお弁当生活(子②)なので寝ます〜😴

自分にかける言葉

100日前の自分には想像つかない日々が目の前にある。

朝晩ほぼ毎日瞑想をすることが日課になっていて、瞑想に出会うきっかけとなったトラブルの元凶はなくなり、新しい土地に住んでる。

 

は?

 

訳がわからない。

こんなことを言うと(またまたァァ!)と引かれるのはわかってるけど人生を強制リセットするために、秋の不運がやってきたとしか思えない状況にいま、なっている。もちろん大なり小なりトラブルがないわけではない。嫌な気持ちなることもゼロではない。それは生きてる以上揺らぎとして存在するものとして捉えられるようになっている自分に驚く。

『マインドフルネス』のほんの端っこを掴んだだけのわたし。よくある『人生変わります!』とか『好転しました!』とは、言いたくはない。それでも、やはり変わったものがある。

①集中力アップ

瞑想を始めて『今ここ』を繰り返すうちに、集中状態に入りやすくなった。仕事のひとつであるルーティーン業務の終わりが早くなっていることに気づいた。(当社比)いままで集中と思っていたのは緊張やこわばりだった。ぎゅっと身体を縮こませるように過ごさなくなったことが大きい。呼吸に意識を向ける習慣ができたことで起きた変化だとおもう。また『今ここ』にフォーカスすることは無計画とは違う。反省や次に向かっての改善策はもちろん講じるし、仕事や生活をする上でのタスク管理は当然行う。『今ここ』を見つめることで土台がしっかりと作られるから、次のステップへの見通しがよくなり、集中力につながると感じている。

②イライラの低減

瞬間的にイラッとすることはあってもそれがずっと続くことは少なくなった。起きたことを考えても仕方ない、起こってないことを考えても意味はない。『今ここ』の自分を観察する。無意識に暴れる感情を少し引いたところで見る感じ?にする。

③人への興味が湧く

これは②の理由にもなる。どうしてこの人はこんなことをするんだろう?と、背景を想像する。自分から見えるその人がムカつくとかイラつくとか好きとか嫌いとか単純に仕分けをしないでただその人を感じてみる。純粋に(どうして?)と疑問を持つようになった。今まで自分の中にあった人への反応パターンの書き換えみたいになっている。

100日前の私に今の自分の状況を説明しても「そんな上手い話あるわけない」と怒るんじゃないかと思う。にもかかわらず、現実はこうなのだ。例えるならお砂場セットに入ってる〈くまで〉。あれでガバーッて100日引きずられたらnew←イマココ みたいな状況である。

変化の振れ幅が激しくてなかなかのジェットコースターではあったけどそれでも出来た。わたし、よく頑張った!と言える自分も100日前にはいない。これが「セルフコンパッション」なのかな?と、書きながら気づく。

 

100日前のわたしのもがきは😅ブログの過去記事やXのポストをどうぞ!(笑)

 

信じて頼る

 

目立つことをすると叩かれる。

それが私の人生経験のひとつで、新参<古参というヒエラルキーは昭和生まれの私には根深いものでした。だからこそ、ポッと突然やって来た人間が大切な場所に変化(のように見える)を加えたら否定したくなるだろうし、嫌悪を浴びるだろう。そんなふうに『今起こっていない』ことを想像していました。

思いを届ける2人のお手伝いをする機会をいただきました。最初はヒグちゃんのmeet upの出だしのお手伝いのはずが、気づけば特濃な時間の流れに漂ううちに『朝の5分間瞑想』の隠密🥷として動き出しました。

ホームページと公式アカウントがそれです。

名前を出さないことを希望したのは私です。世界観を壊したくないし、なによりことりさんとヒグちゃん“以外”が存在として見えてはいけないと考えていました。(アクトさんはまた別枠。コーチ志望なので無問題!)

おふたりからは早い段階でホームページ制作については私が作っていることを皆さんにお知らせしたいと言われましたが私がお願いして伏せさせてもらっていました。理由は上のとおり。

しかし、思いのほかことりさんにもヒグちゃんにも反響があり3月10日の朝の5分間瞑想内でお知らせの運びとなりました。とはいえ、あまりひとが介在している色を出さないように心がけていました。まだたった1週間前の話ですがずいぶん前のように感じます。

吉田昌生先生を迎えての朝の5分間瞑想拡大版が終わったあと、さまざまな思いを持ちよりおふたりとまたいろんな話をしているうちにやっぱり『朝の5分間瞑想』の思いをもっと届けたいし、おふたりの活動の場がどんどん広がっていくこのタイミングをつかみたいと思いました。(現実面担当として切に!)

そして外へ向くこのタイミングで、私自身の内へ向かう気づきがありました。

『朝の5分間瞑想に集うみなさんにゆだねれば良いだけでは?』

重ねて来た今までの人生データで分析していたら抱えてる不安が襲うけど、ことりさんとヒグちゃんが作って来たこの場所に、だれがどんなラベリングをしたとしてもそれはそれ。その人の気持ちはその人のもの。私の気持ちも私のもの。

信じて頼る。

そこでホントに今日の今日なんですが(2024年3月18日)Xの朝の5分間瞑想公式アカウントと個人アカウント、それぞれにそれぞれのアカウント名を記しました。少なからずあちこち活動をしていた自分の個人アカウントを活用しないのはもったいないと考え、公式と個人を繋げて発信のチャネルを増やすことにしました。運営スタッフとしてすこし、私が前?表?に出るように見えるかもしれませんが見守っていただけたらうれしいです。

とはいえ、中味は何も変わらず、マインドフルネスを取り入れたばっかりで、毎日シュッキーン=͟͟͞͞( •̀д•́)して仕事して凹んだり愚痴ったり遅い昼ごはんをアップしたり夕飯作りながら気づきポストしたりマインドフルネスとか言ってる端からムキー(☼ Д ☼) ってなってたり。なにより私自身の変化がマインドフルネスビフォー・アフターみたいになってる気もするし(笑)動く広告塔でも目指しますかね?😏

 

※両方をフォローしてくださってる方はポストがかぶるのでウザかったらミュートしてください^^;すいません。

感謝とは

荷造りでせいいっぱいで、掃除が後回しになってしまい、新居に荷物を運び入れたあと旧居に戻り掃除をしました。

怒涛のスケジュール。

家が決まったのは先月なかば。私があまり乗り気ではなく、家族が『見るだけ』と言って内見していたはずなのにどうしても引越したいと言いだしました。そこは賃料が高いので私の譲歩点を伝え、時期も時期で引越しだけでも相場が高く、考え直すことも視野に入れて話し合いをしました。しかし、今夜はきのうとは別の家で布団に入ってます。(寝室が和室になった。)

掃除をするときによぎるのは退去立ち会い。なんかいわれたらどうしよう?と思いながら最初は掃除をしていました。埃をとり、床を拭き、がらんとした旧居を見てるうちに(違う、そうじゃない)と気づきました。もちろん退去立ち会いも敷金も大事だけど、いちばんは今まで暮らしてきたこの空間への感謝を。住んでいた期間、良いことばかりではなくさまざまな感情と共にこの部屋と過ごしました。いいことも悪いことも全て含めて今ここにいること。自然に(感謝だなぁ)と思いました。

これはマインドフルネスに関わりがなかったらここまでこころの表面に上がってこなかった感情です。

そもそも「感謝」という言葉自体、私は扱いにくく心から湧いてくる感情ではありませんでした。(言わされてる感じ?)

“やらなきゃいけない”ことじゃなくて自らの気持ちで動き出すことができました。今までの自分だったら家族のせいで無理な引っ越しをさせられて夜中まで荷造りして疲れた挙句、掃除まで“やらされている”と感じていたはずです。

起こってないことを考えない

今ここに気づく

ジャッジしない

 

新しい暮らしが始まります。

 

 

新月の夜にパート2

いろいろ考えていろいろ伝えたかったりして何度か文章書いたんですがどうしても「これ!」という言葉がうまく出てこなくて困ってしまってわんわんわわん。…なので、新月の夜に“パート2”になってます。

人生何が起こるかわからないですね。(率直な感想)

何度かXのポストで書いてますが時間が経つのが早いのか遅いのか理解不能っていう状態になりました。圧縮と解凍をくりかえしてるみたいな。1日は進んでるのにその時間で3日分くらい考えた!みたいになってたり、昼は仕事へ行きますが出社前の朝と帰宅後の夜は同じかそれ以上の熱量で作業して1日が長く感じるのに時間が足りないと思ったり。頭がぱんぱんになりながら。

 

(たのしい。)

 

そうか。わたしはいま楽しいんだ!って気づきました。びっくり。

ほんの数ヶ月前はパワーストーンや瞑想にすがるように過ごしていたことを綴っていた人間が、です。『たのしい』を感じ取れる精神状態が戻ってきました。

新月はスタートを切る節目と言われます。

潮目が変わるとはこのことかもしれません。明後日は子どもの卒業式で、明々後日は生活の拠点も変わります。(昨日書いてたからもう明日、明後日か!)どんどんなにかの大きな流れに乗っていく感じで、行き着く先がどこなのかさっぱりわからない状態ですが、『今ここ』の呼吸をたずさえて、今あるものに感謝を向けて過ごす日々です。(でもいそがしーい!笑)