嫌いな人がいる。
それでも『いきとしいけるものすべてに感謝』しなくてはならないのだろうか?今朝はそこだけ腑に落ちなくてちょっと瞑想が止まった。
嫌いすぎて嫌いな人に集中してしまっている自分に気づいて無関心になろう、心を離そうと考えた。通じない相手に何を働きかけても理解も行動もできないだろう。物理では距離をとることが難しいので、とにかく自分の心の中に入れないことに決めた。私の領土は私のもの。
それでも繰り返す毎日のなかで当然ゆれがあるしまたうっかり侵入を許してしまう日もあるだろうけど私が私のままでいられる方法は『“嫌い”を自分から離す』ことなのだと思う