だけのこ日記

何もない日常が日常、それ”だけ”のこと日記

料理と片付け

先月末くらいのらした先生のツイート(ポスト)が気になっていた。

f:id:norikoroll:20231204201622j:imagehttps://x.com/rashita2/status/1727293524943802421?s=46&t=C5U3vqcjpFN41NwNrnT8DA%20%20

 

私はどんな生き方をしたいのか?という行動ルールみたいなものを決めてから自分に合ったノウハウを探すのことをおすすめしたい。ノウハウを基準に自分の暮らしを決めては本末転倒だからだ。

エケチエン育成中のひとが丁寧な暮らしは無理だし、園児や児童がいる家庭にミニマリストはおすすめしない。(やってる人もいるけど特殊な例と考えた方がよい)

料理と片付けのノウハウそのものは巷に溢れている。

それが無くならずなんなら増え続け決定版が定まらないのは年齢や性別(自認や身体的問わず)、趣味嗜好、家族構成その他諸々、世帯の数だけさまざまなパターンが発生するからと考えている。また、社会が是とする『生き方』も影響される。

例えばモノのない時代を生きた人にとって断捨離は受け入れ難いだろうが、今の世の中は『捨てること』が良いこととされる。いつか使うかも、と所有していることは悪とされる。昭和の家には贈り物の包装紙を折り畳みストックしていたり、クッキーやサブレの空き缶を小物入れにして『チラ裏』は本当に生活の中にあってミームではなかった。

 

バブルの時代はブランドバッグにクルマ、シーズン毎のスポーツ用品(スキー、スノボ、サーフィン、ボディボード、テニス、ゴルフ)など所有物が多い方が高かったステイタスがいまはミニマリスストがもてはやされる。

料理と片付けは普遍的なように見えて社会が反映されている。

つぎに、個人にフォーカスをあてると『食』に興味があるかないかで必要とする料理ノウハウが変わってくる。食に持つ興味が調理なのか実際に食べることなのかでもまた変わってくる。卑近な例で恐縮だが、我が家の長男は『自分の思う味が食べたい』という欲が強く、先日私が大葉を挟んだささみフライを作り、付け合わせに千切りキャベツを用意していたところ、梅干しとなにかを刻んでマヨネーズと合わせディップを作って食べたと翌朝報告してきた。(もうひとつの食材はあいにく失念してしまった。)ふつうに中濃ソースで食べると思っていたのでこのこだわりには驚いた。予備校から帰ってきて遅いし私は先に寝てたくらいなのに『食べたいものが食べたい』からやる。

翻って次男は出されたものはなんでも食べる。出されなかったら食べない。お腹空いてどうしようもなくなったら作るけど、というスタンス。一人暮らしになったらベースブレッド と完全メシ、YouTubeのCMとかで出てくるレンチンのバランス食みたいなやつでいける、と言っている。先日は私が友人で完全外食生活の人がいた話をしたら『え?それでもいいの??』と、驚いてそれもいいなあというくらいだ。この2人に私のノウハウを伝えても昇華の仕方はまた違うものになるだろう。

 

---書き足し---

ノウハウは必要だけど、とのノウハウが自分にとって必要なのか?フィットするのか?という、根本的な問題がある。

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取り止めがなくなってきてのでおわり。

何か聞きたいことがあったら教えてください(^^)