だけのこ日記

何もない日常が日常、それ”だけ”のこと日記

SNSの距離感とその歴史(わたしの場合)

結論としてはネット上で起こることは社会の中で生きている自分とイコールにしないということをルールにしている。別人格を作っているとかそういうのではなくて、Wi-Fiをオフにしたら見えなくなる関係性と現実をごっちゃにしない、ということ。SNSは、情報の海を楽しんだり、愚痴を言ったり、助けてもらったり、自分が書いたものを好きと言われたりたのしむもの。嫌ならブロックなりミュートなりする。選択する基準は自分。耳の痛いことを言われるのは現実だけで充分くらいのスタンスでいいのではなかろうか?Xで有名人がお互いの主張を言い合ったりしてるのをたまに見るけどやれやれ(村上春樹ふう)と思いながらそっ閉じしてる。ここに書いているのはあくまでわたしの場合であって、それ以外のものを否定するものではない。多様性こそインターネットのいいところだから。

ここから下は2008年からTwitterをはじめた私の自分語りの思い出話みたいなもんなので、お時間のある方、暇を持て余してる人だけどうぞ笑

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わたし自身、インターネット老人会に属する方だと思う。

1990年代の終わりくらい?ニフティサーブなどのパソコン通信からインターネット(WWW=ワールドワイドウェブ)に移行し、通信速度の向上と、一般家庭からも接続できる環境が少しずつ整い、参入障壁が下がってきた。調べてみたら1999年にADSLがサービス開始していた。その後、急速に増えたいわゆるネット上の『コミュニティ』

わたしの記憶する古い順から書くと2ちゃんねるを筆頭とする匿名掲示板、ポータルサイトの用意したサーバ上での匿名チャット、招待制のテーマ別グループ掲示板+チャットのmixi、実名のFacebook、ひとことブログの立ち位置から始まったTwitter(現在のX)、SNSとは呼ばれるけどインフラ化したLINE、写真がメインのInstagramPinterestはちょっと違うか。

レシピサイトとして認識されているクックパッドも会員登録制の料理特化型SNSとして見ることも出来る。クックパッドは参入が早かった。いち早くSalesforceを導入してた記憶がある。

閑話休題)現在は新サービスのBlueSky、スレッズもある。自分はUIがイマイチでXから抜けられずにいる。

匿名性への信頼と危険

匿名の関係だけれど、オフ会も活発だった。

活動に透明度の高いものはわりと参加していた。この辺の嗅ぎ分けは経験値が関係してくるが基礎的見分け方はセミナーなどの場合

・実費+主催者経費 それ以上の価格設定(万単位)、または無料と謳って囲い込み、誘い方がしつこい、会場名を記載していない、閉会の時間設定がない、やたら好転とか人生変わるとかあかるい側面しか言わないとかで判断している。教祖じゃないけど1人の人を崇め奉る系も回避。

exciteチャットで知り合ったグループで夜の渋谷で飲んでオールとか普通にあった。25年くらい前です。人運がめちゃくちゃ良くて何も悪いことが起きてないことがすごい。わたしが今20代の娘の親ならハラハラするようなことをしてましたね。(反省)でも本当にいい人達で社会人から学生まで色んな世代のさまざまな経験をしてる人たちに出会えて本当に楽しかったなー。チャット内での会話で人となりを見極め(と、いうのもおこがましいけどそうせざるを得ない。自己責任なので。)当時HTMLでホームページを作る時代だったので技術系に詳しいひとが集まるところにいてお互いのホームページを見せ合って話をしてました。その流れの飲み会。ノンデザイナーズデザインブックの時代です。

この頃はまだガラケーの時代で主戦場はパソコン。割と大きなモニタで、文字を追っていく世界。仕事でパソコンはあっても家庭に1台とかはもう少し先の話。その当時に何十万と使ってパソコンを用意してインターネット環境を整えることの出来るある意味『やる気』のある人達が集まっていたのかもしれない。仮名で出会い仮名で別れ、連絡先はチャットかメールのみ。来なくなったらなにしてるかわからない。入れ替わり立ち替わりがあたりまえだったのでそこに疑問を持つことはなかったし、自分もそうだった。

 

スマホ時代のSNS

iPhoneが世の中に与えた影響は大きくてスマホが台頭してきてからのSNSはまた違う。

より一層スピードが速くなり、回線の太さが上がり大きなデータを手のひらで扱えるようになった。ある程度パソコンやインターネットに明るくないと辿り着けなかった環境に、誰でも飛び込むことが可能となり年齢層もぐっと下がった。インターネットという通信環境がコモディティになっている現在。Wi-Fiはあって当たり前。有線やダイヤルアップは遺物となった。

またPCモニタと違い、小さな画面で文字を読むため、視覚の距離が近いと心理的にも影響が大きくなる。遠くから呼ばれる感じではなく耳元で囁かれるような距離感になる。利用人口が増えればそれだけ複雑になる。良い人も悪い人も増える。儲けようとする輩が出てくる。リアル社会と同じことが起こったりもする。でも、ひとつ違うことは『関わり』を自分で選べることだ。閉じてしまえばみえない世界に自分がこだわる必要はない。

 

【追記】

子どもたちの世代はリアルと虚構がごちゃ混ぜで友だちをフォローしてるアカウント、それとは別の裏アカなんてあってあたりまえ。この辺りの世代のインターネットの感覚はわたしとはまるで違うので語ることはできない。かなり生活に根ざしている。固定電話が家にない子も多い。私の関わっているスタイルはインターネット老人会であって現代の使い方ではないことを意識することも必要かと思う今日この頃である。