目標と目的の話。人は自分が抑圧された環境でいるとそれを人にもあてはめようとする。例えば私のような中高年が今の新卒の若者を見るととてもラクそうに映ると思う。もっと先輩は厳しかったし早出残業は当たり前、言われなくてもお茶出しや電話番、掃除やゴミ捨ては下っ端がやることだった。が、今は仕事でないものはやらないし(上がさせない)、仕事は仕事で言われたことしかしないし、なんなら言われたこともできない。私がこう思うのは自分がそう「生きて」きたことの[物差し]である。この物差しはそう易々と変えられるものではないけどこれが[物差し]と気づけたことが私の『目標』に繋がるのでこのエピソードを書いてみた。
Xで毎朝6:30からの5分瞑想マインドフルネス講師、ことりさんのnote。
今年の抱負は何ですか?迷った時、いつでも戻れる場所|TO-JIBA ひろみ マインドフルネス
これを読んで目的がはっきりしない目標ばかりを連ねていたようにいろいろ思い返していた。
だいたいこの二つ。時代が作る物差しも反映されていたように思う。
- 欲しい
- 叶えたい
今日昼間にXにも連投したんだけれども(ナンバリング間違えた)
[目的と目標]マインドフルネスに触れるようになってから(自分はしあわせになっていいんだ)っていうことに気づいて。なぜなら毎日の朝瞑想で「あなたが幸せでありますように」って言われ続けていたある日、わたしって幸せになってよかったんだ、とあれれ?っと気づいた瞬間がありました。1/3
— のり@烏龍茶 (@norixnori) 2024年1月10日
人生の目的を『私の幸せ』とした時に、目標は『優しさ』と思い至る。優しかった先生を思い出すとその後ろにほんのり厳しさを思い出すように優しさとはただ甘えさせることを指してはいない。あの人優しいよね、という時に口だけのチャラい人を指さない。どちらかというと根気強く、思慮深く、控えめだけど意見する時はきっちりと。そんなイメージがある。もちろん優しさの意味通り包み込むような優しさも合わせて持っていたい。そしてこの優しさを私が発揮したい対象は『自分自身』とする。まずここが第一歩。自分が自分に与えられていないものを人に供することはできない。
今年の目標のひとつに『優しさ』を加えようと思う。
※今年の限定的な実務目的は資格試験合格、目標は勉強時間確保1時間/日です!